評論とその他。

アニメや本、映画の感想など、ぽつぽつと。

卒論のアイデア、ボツ案その一

私が卒業論文で書いてみたいことは、芸術作品、あるいは視覚表象についての美学を中心とした議論である。そのさい、現段階で論述の中心に据えたいと思っているのが、ヴァルター・ベンヤミンの「複製技術時代の芸術作品」をはじめとしたいくつかのテキストである。ベンヤミンはかのテキストのある箇所で、映画が知覚に関する学としての美学(エステーティク)の対象になると述べていたわけだが、今回取り組みたいことも、映画が新たな知覚の形式を準備するような、諸メディアやメディウムによって人間の知覚が被るであろうさまざまな影響の考察である。じっさい、ベンヤミンのテキストは、美術批評の文脈においてはロザリンド・クラウスらがポストメディウム時代の芸術を論じる際の足がかりとなっていた。クラウスが検討するのは、マルセル・ルータースらメディア混交的な作品を制作する現代の芸術家たち、あるいは晩年のピカソマルセル・デュシャンあるいはシュルレアリズムといった、統一した像を結ぶことを拒否しているかのような、不安定な知覚と戯れている芸術家たちである。彼女が「視覚的無意識」と呼ぶ、ゲシュタルトを崩壊させる明滅するリズムやパルスの力能は、たしかに「複製技術論」における映画の「stossen」な衝撃と通底するものがあろう。ただ、ベンヤミンが映画によって新しい知覚の形式の練習を行いうるという言っていたこととは対照的に、クラウスは先にあげた諸芸術家たちの作品に、モダニズム的な視の主体をばらばらにさせてしまうような力能のみを読み取っている。ベンヤミンは映画に対して、知覚の統合が可能とする「経験」をいちど崩し、そののちに再度新たな様式のもと統合し続けるビジョンを描いていたと考えられようが、クラウスにおいては後者の知覚の再統合という目論見は退けられ、観るものを惑乱し、撹乱するパルスの運動にのみ議論の焦点が定められている。こうした点において、ベンヤミンとクラウスの視覚的無意識概念は「斜めに交わる」。

  さて、ベンヤミンの議論と現代美術をめぐる批評的言説のキアムスを論じる際に明らかにしておかなければならない点は、ベンヤミン以前の美学の言説や、クラウス以前のアートをめぐる言説であるように思われる。ベンヤミンは「経験」概念の自明性、あるいは芸術作品の自律性に懐疑と批判の目を向け、自身の芸術論を形成したいった契機をなぞるように、クラウスもまた「メディウム固有性」といった概念に下支えされた絵画の純粋性や自律性に論駁しながら自身の批評を形成していった。ベンヤミンのカントに対するアンビバレントな態度は、クラウスによるグリーンバーグに対する態度と通底しているような気がする。グリーンバーグが芸術作品を論じるにあたって理論的支柱としたのが(枠組みの読み違えなどはあるにせよ)カントの美学であることからも類推されるよう、クラウスが行った美術批評の現場にベンヤミンの議論を変形させながら帰納させてゆく作業は、カント–グリーンバーグ的な自律的な芸術作品を判断する枠組みに対する、異種混交的で断片の寄せ集めのようなそれを判断する枠組みを準備する作業として捉えられると考えられる

  マルセル・デュシャンは「絵画はクールベ以降網膜的なものになってしまった」と批判的に述べている。ある感官を徹底的に純化させてゆく「網膜的」な絵画鑑賞ではない、さまざまな感官が動員され、それらの組み合わせが解されてゆくような鑑賞の経験。本稿でとりくんでみたいのは、そうした芸術作品に対する鑑賞のありかたについての美学的言説の整理である。

卒論のアイデア、ボツ案その一

私が卒業論文で書いてみたいことは、芸術作品、あるいは視覚表象についての美学を中心とした議論である。そのさい、現段階で論述の中心に据えたいと思っているのが、ヴァルター・ベンヤミンの「複製技術時代の芸術作品」をはじめとしたいくつかのテキストである。ベンヤミンはかのテキストのある箇所で、映画が知覚に関する学としての美学(エステーティク)の対象になると述べていたわけだが、今回取り組みたいことも、映画が新たな知覚の形式を準備するような、諸メディアやメディウムによって人間の知覚が被るであろうさまざまな影響の考察である。じっさい、ベンヤミンのテキストは、美術批評の文脈においてはロザリンド・クラウスらがポストメディウム時代の芸術を論じる際の足がかりとなっていた。クラウスが検討するのは、マルセル・ルータースらメディア混交的な作品を制作する現代の芸術家たち、あるいは晩年のピカソマルセル・デュシャンあるいはシュルレアリズムといった、統一した像を結ぶことを拒否しているかのような、不安定な知覚と戯れている芸術家たちである。彼女が「視覚的無意識」と呼ぶ、ゲシュタルトを崩壊させる明滅するリズムやパルスの力能は、たしかに「複製技術論」における映画の「stossen」な衝撃と通底するものがあろう。ただ、ベンヤミンが映画によって新しい知覚の形式の練習を行いうるという言っていたこととは対照的に、クラウスは先にあげた諸芸術家たちの作品に、モダニズム的な視の主体をばらばらにさせてしまうような力能のみを読み取っている。ベンヤミンは映画に対して、知覚の統合が可能とする「経験」をいちど崩し、そののちに再度新たな様式のもと統合し続けるビジョンを描いていたと考えられようが、クラウスにおいては後者の知覚の再統合という目論見は退けられ、観るものを惑乱し、撹乱するパルスの運動にのみ議論の焦点が定められている。こうした点において、ベンヤミンとクラウスの視覚的無意識概念は「斜めに交わる」。

  さて、ベンヤミンの議論と現代美術をめぐる批評的言説のキアムスを論じる際に明らかにしておかなければならない点は、ベンヤミン以前の美学の言説や、クラウス以前のアートをめぐる言説であるように思われる。ベンヤミンは「経験」概念の自明性、あるいは芸術作品の自律性に懐疑と批判の目を向け、自身の芸術論を形成したいった契機をなぞるように、クラウスもまた「メディウム固有性」といった概念に下支えされた絵画の純粋性や自律性に論駁しながら自身の批評を形成していった。ベンヤミンのカントに対するアンビバレントな態度は、クラウスによるグリーンバーグに対する態度と通底しているような気がする。グリーンバーグが芸術作品を論じるにあたって理論的支柱としたのが(枠組みの読み違えなどはあるにせよ)カントの美学であることからも類推されるよう、クラウスが行った美術批評の現場にベンヤミンの議論を変形させながら帰納させてゆく作業は、カント–グリーンバーグ的な自律的な芸術作品を判断する枠組みに対する、異種混交的で断片の寄せ集めのようなそれを判断する枠組みを準備する作業として捉えられると考えられる

  マルセル・デュシャンは「絵画はクールベ以降網膜的なものになってしまった」と批判的に述べている。ある感官を徹底的に純化させてゆく「網膜的」な絵画鑑賞ではない、さまざまな感官が動員され、それらの組み合わせが解されてゆくような鑑賞の経験。本稿でとりくんでみたいのは、そうした芸術作品に対する鑑賞のありかたについての美学的言説の整理である。

卒論のアイデア、ボツ案その一

私が卒業論文で書いてみたいことは、芸術作品、あるいは視覚表象についての美学を中心とした議論である。そのさい、現段階で論述の中心に据えたいと思っているのが、ヴァルター・ベンヤミンの「複製技術時代の芸術作品」をはじめとしたいくつかのテキストである。ベンヤミンはかのテキストのある箇所で、映画が知覚に関する学としての美学(エステーティク)の対象になると述べていたわけだが、今回取り組みたいことも、映画が新たな知覚の形式を準備するような、諸メディアやメディウムによって人間の知覚が被るであろうさまざまな影響の考察である。じっさい、ベンヤミンのテキストは、美術批評の文脈においてはロザリンド・クラウスらがポストメディウム時代の芸術を論じる際の足がかりとなっていた。クラウスが検討するのは、マルセル・ルータースらメディア混交的な作品を制作する現代の芸術家たち、あるいは晩年のピカソマルセル・デュシャンあるいはシュルレアリズムといった、統一した像を結ぶことを拒否しているかのような、不安定な知覚と戯れている芸術家たちである。彼女が「視覚的無意識」と呼ぶ、ゲシュタルトを崩壊させる明滅するリズムやパルスの力能は、たしかに「複製技術論」における映画の「stossen」な衝撃と通底するものがあろう。ただ、ベンヤミンが映画によって新しい知覚の形式の練習を行いうるという言っていたこととは対照的に、クラウスは先にあげた諸芸術家たちの作品に、モダニズム的な視の主体をばらばらにさせてしまうような力能のみを読み取っている。ベンヤミンは映画に対して、知覚の統合が可能とする「経験」をいちど崩し、そののちに再度新たな様式のもと統合し続けるビジョンを描いていたと考えられようが、クラウスにおいては後者の知覚の再統合という目論見は退けられ、観るものを惑乱し、撹乱するパルスの運動にのみ議論の焦点が定められている。こうした点において、ベンヤミンとクラウスの視覚的無意識概念は「斜めに交わる」。

  さて、ベンヤミンの議論と現代美術をめぐる批評的言説のキアムスを論じる際に明らかにしておかなければならない点は、ベンヤミン以前の美学の言説や、クラウス以前のアートをめぐる言説であるように思われる。ベンヤミンは「経験」概念の自明性、あるいは芸術作品の自律性に懐疑と批判の目を向け、自身の芸術論を形成したいった契機をなぞるように、クラウスもまた「メディウム固有性」といった概念に下支えされた絵画の純粋性や自律性に論駁しながら自身の批評を形成していった。ベンヤミンのカントに対するアンビバレントな態度は、クラウスによるグリーンバーグに対する態度と通底しているような気がする。グリーンバーグが芸術作品を論じるにあたって理論的支柱としたのが(枠組みの読み違えなどはあるにせよ)カントの美学であることからも類推されるよう、クラウスが行った美術批評の現場にベンヤミンの議論を変形させながら帰納させてゆく作業は、カント–グリーンバーグ的な自律的な芸術作品を判断する枠組みに対する、異種混交的で断片の寄せ集めのようなそれを判断する枠組みを準備する作業として捉えられると考えられる

  マルセル・デュシャンは「絵画はクールベ以降網膜的なものになってしまった」と批判的に述べている。ある感官を徹底的に純化させてゆく「網膜的」な絵画鑑賞ではない、さまざまな感官が動員され、それらの組み合わせが解されてゆくような鑑賞の経験。本稿でとりくんでみたいのは、そうした芸術作品に対する鑑賞のありかたについての美学的言説の整理である。

裂け開かれる世界 辻村公一・ラカン・デリダ

ブログ版にあたって

本稿は、2年ほど前に書いた小論文を加筆修正(註をたくさん足した)したものである。

Twitterの更新が止まって連絡フォームをどこかにつくろうと思っていたのだけれど、よく考えてみるとブログはメールフォームなど無く、記事に対するコメントしかできない仕様であったと気付いたため、急遽なんらかの記事を公開しようと書きなおしたものだ。なので、なにか弊会に連絡事項などある方は、このコメント欄に書いていただきたく思う。むろん、この記事に関係ないものであっても全く構わない(もちろん、記事に対する感想や批判などあれば書いていただければ大変幸い)。

Twitterは見ていると漠然と疲れるのでひとまず休憩しようと思うのだけれど、こうした独言のようなものが可能であるブログという媒体には、引き続きなんらかのものを書いていこうと思う。これからも、弊会をよろしく申し上げる。

 本稿は、マルティン・ハイデガーにおける<世界>を、『存在と時間』を中心としつつ、フランス現代思想での読解を足掛かりとしてそのありようを素描することを目的とする。

 第一章では『存在と時間』における世界を辻村公一の『ハイデッガー論攷』を手引きとして概観し、とくに辻村が「世界性B」と名指した不安において押し迫ってくる世界を、『形而上学とは何か』や『有(存在)の問へ』(括弧内筆者)など後期ハイデガーの思索に関連付け、同時にジャック・ラカンによるハイデガー読解を補助線として論じる。ハイデガーが展開した存在の問いがラカン精神分析を経由することで現れてくる、小笠原晋也が「否定存在論」と名指した理論的枠組みを明らかにしてゆきたい。

 続く第二章では、ハイデガーラカンによる「否定存在論」的な世界の開かれを継承しつつも批判的に論及したジャック・デリダのテキスト群を検討し、世界性Bが「痕跡」として再度提示されるさまを振り返る。

第一章 世界の裂け目の縁

第一節 非指示性としての世界

 まず、『存在と時間』における世界を概観してみよう。ハイデガーは世界の世界性についての分析を行う端緒となる第14節で、「世界ということばの多義性」を4つに分類し、そのうちの三項目を「世界という表現」で用いると画定している。それは「本質的に現存在ではない、世界内部的に出会われうる存在者として解されるのではな」く、「何らかの事実的存在者が『そのうちで』事実的現存在として『生きている』場所」であるという(SuZ 64-65 【一】一〇五-一〇七)。

 現存在が「そのうちで」生きている場所である世界は、続く15節から18節にかけての道具と「しるし」をめぐる分析を通して「適所性という存在のしかたにおいて存在者を出合わせる〈それにもとづいて〉」として捉えられる。かような『存在と時間』において明示的に論じられている、存在者の適所性を構成する指示連関として構成される世界を辻村公一は「世界性A」と名指し、他方で「『世界としての世界』の根源的な相といふ意味での世界性たる非指示性」を「世界性B」と名指している(辻村  1971、p.100)。

 「世界性B」、すなわち非指示性としての世界は、不安という情態性において開示される。ハイデガーは『存在と時間』において、「不安の〈なにをまえに〉にあって、『それは無であり、どこにもない』ことがあらわとな」り、かつ「不安の〈なにのまえに〉は世界そのもの」であるいう(SuZ 186-187 【ニ】三六一-三六七)。不安において「世界そのもの」が開示される「無」としての世界性Bは、『ハイデッガー論攷』においては世界性Aと比べて「一層高い次元」に属し、さらには「指示性が陥没してゆく行先」として「一層深い底」として暗示されていた(辻村  1971、p.81)。ここで注目すべきは、この「高さ」と「深さ」が、「世界の根源Xから世開して來る世界の根源的な相」(辻村  1971、p.84)として世界性Bが開かれてくるということに由来することであろう。であれば、その「世界の根源X」とは何か。辻村はかような問いの答えを、西田幾多郎由来の「絶対無の場所」として規定した。本稿では、辻村が提示した「世界性B」あるいは「世界の根源X」への問いをラカンデリダといったフランス現代思想の担い手たちに投げかけ、筆者なりの答えを導き出すことを目的としている。[1]

第二節 「世界性B」の展開 –ハイデガー-ラカンにみる否定存在論の形成-

 ジャック・ラカン精神分析の理論化には、ハイデガー現象学が少なからず影響していることはよく知られている。『精神分析の倫理』において、ラカンハイデガーの「有るといえるものへの観入」で論じられた「物」(Das Ding)の概念を受け、ハイデガーが表立っては論じなかった「四方界を宿らせ続ける」(GA79 20 二十六)以前(ここでいう「前」とは一種の暗喩であるが)の「物」を〈もの〉(la Chose)[2]として、フロイトを援用しつつハイデガーの「物」から切り出している。

 ラカンの〈もの〉は「現実界の中心にある空虚の実在の対象」であり、陶工がそれに土を張り巡らす「無」として現れることを確認しておこう(SVII 【下】一八三)。他方で、〈もの〉がその中心を占める現実界は「不安」によってそれを示す(SX【下】七)。ここにおいて、「欠如の欠如」である「不気味なもの」(das Unheimliche)を介した不安によって示されるラカン的な「現実界[3]と、「無それ自身が無にする」(GA9 114 一三七)不安によって開かれるハイデガー-辻村的な「世界性B」が重なり合う可能性が見出されるだろう。

 小笠原晋也は『ハイデガーラカン』にて、不安によって覆いが剝がされる「不可能としての現実界」を「メビウス表面」と呼び、それは「存在」(ここで「存在」の上には✕印が刻印されているが、記事の都合上、打消し線として略記する)の場所として論じられていた。周辺世界としての指示連関が「世界の無意義性[4]へと沈み込む」(SuZ 343【四】九四)「世界性B」は、すでに辻村が指摘していたよう「『物が物になる』(Das Ding dingt)ところの世界」(辻村  1971、p.100)であり、それはさきにみたよう四方界を安らわせる。ここで注目すべきは、物のうちに安らう4つの方域が4方から一点に向けて重なり合う場こそ、「存在」の上に引かれた「×」に他ならないということであろう。ここにおいてハイデガーのいう四方界は、物が物化すると同時に他ならぬ「存在」を抹消する両義性を帯びることとなり、「存在」は「無」(GA9 412 五一四)として、あるいは「死の穴」である「不可能としての実在性[5]」(小笠原 2020、p.103)として現存在の前に現れることとなる。

 だが、「人間は語る、しかしそれは象徴が彼を人間にするから」(Ec 121 【Ⅰ】三七八)であり、「言葉は、存在の家であり、その家のなかに住みつつ、人間は、存在へと身を開き-そこへと出でたつ」(ÜdH 六四)のであるからして、言葉の外部であるところの「不可能としての実在性」は思考不能な深淵として留まるかに思われよう。しかし、その思考不能な深淵を取り巻く縁は「統合エッジ」[6]としていわば言葉の界面に、「必然としての実在性」として思考可能なものとして現れでる(小笠原2020、pp.57-76)(図1)。その縁は意義(指 示性)を持たないシニフィアンの網(「否定存在論的孔穴」)を介して「存在」を縁取っており、言葉は絶えず無意義性に晒されて壊れ、「虚ろな無情さにおいて示される」(SuZ p.348 【下】九四)。[7]

小笠原2020、p.(3)より筆者加筆


 「言語は存在の家」であるが、「『有る』[8]は語(ことば)が壊れるところに生ずる」(GA12 204 二六三)のであり、こうした「である(Das ist……)」そのものは指示連関が「非指示性へと沈み込む」世界性Bにおいて、ラカン-小笠原的に言えば「統合エッジ」において現存在に対して生じ、ある一つの無意義なシニフィアンの穴を介して縁取られる。[9]このような、いかなる存在者でもない「存在」が、不気味なものが現れる言語の縁を巡ることで輪郭を露わにするハイデガー-ラカン的な存在論を、本稿は小笠原にならって「否定存在論」と呼ぶことにしよう。

第二章 「珠」と「灰」

第一節 「隠喩の退隠(retrait)」について

 第一章にみたようハイデガー-ラカンによれば、「存在」あるいは「有る」と呼ばれる存在者でない存在そのものは、「語(ことば)が壊れるところ」、すなわち世界性Bにおいて縁取られるものであった。

 ジャック・デリダは上記の世界のありようを、隠喩のretrait/re-trait(ルトレ)(退隠/引きなおし)という鍵概念を通して論じている。そこにおいてデリダは「隠喩」を「名の転移」(HaD 一九二)として(交通の隠喩を用いながら)取り扱っており、先ほども引用した「言葉の本質」(GA12 147-204 一八九-ニ六三)のなかでトラークル‐ハイデガーが「珠」の隠喩を用いて表そうと試みた「有る」と「隠喩」そのものの関わりを分析していた。

 ハイデガー-ラカンの否定存在論においては、隠喩が失敗すると指示連関は「言語の限界点へとさし向け」られ、「無意識の裂け目という言語では接近できない主体の非意味(ノン・サンス)の次元、すなわち現実界」(加藤 1995、p.106)が現れ出てくる。それに対して、デリダは「現実界」(小笠原的に言えば「不可能としての実在性」)のような否定形によって縁取る事しか叶わない非指示性の核のようなものを「唯一無二のもの(Das Einzige)」であるという見方をせず、そのうえで「隠喩なしで済ますことができないにもかかわらず、隠喩なしで済まさなければならないという事態」(PI 九六)を思考しようと試みている。

 そこにおいてデリダは、「言葉の本質について」における詩作(Denken)と思索(Dichten)の間に刻まれた「裂け目(Riß)」を「裂線(trait)」と翻訳することで、「無-限のところで」「切り合い、交差」し、「言のはたらき(das Sagen)」によって「有る」をしめす「裂け目」(GA12 185,203 ニ三六,ニ六二)をその裂線じたいが「消滅することによってしか到着しない」(PI一一一)ものであると捉えなおしたうえで、裂線(trait)の反復(re-)に隠喩の退隠(retrait)を重ね合わせる。

 ハイデガー-デリダにおいては、ハイデガー-ラカン的な「存在」を縁取る世界性Bが「重積・貫入させ」られ、「おのずから波のごとく溢れ出る」(PI九八)こととなる。そこにおいては、もはや「線〔trait〕は〈退隠=引きなおし〔retrait〕〉である」と言うことさえできないだろう。「存在論的繋辞(コプラ)〔「である」〕の可能性を条件づけるのはこのes gibt としての〈退隠=引きなおし〉」(PI 一一三)に他ならないのだから。

第二節 「そこに灰があった」ということ

 世界性Bが波のようにして不確定なものとなり、ひとつの深淵[10]が「消失することによってしか到来しない」裂線の反復としてしか示されなくなったとき、「世界としての世界」を開示せしめる「不安」という情態性は、かえって自らを焼き、引き裂く「苦痛」として現存在を襲うことになる[11]。そこでは、詩人の手から零れ落ちた「有る(ist)」の珠が焼き尽くされ、白く煤けた灰[12]として再度提示されることになるだろう。

 世界が裂け開かれるのではなく、むしろ自らが引き裂かれることによって世界は開かれるのだと言えようが、自らを引き裂くその線(トレ)は、すでにみたよう消失することによってしか到来しない。そして、炎の線に焼かれ、引き裂かれて残った「存在」たる灰[13]こそ、「跡を留めないがゆえに、まさしく灰は他の痕跡以上に、そして別の痕跡のように線を引く=痕跡を残す〔tracer〕」(flc 六〇-六一)。ここに、本稿は燃え残った灰が「別の仕方で」再度裂線の反復(re-trait)として到来する可能性を見出すが、それは今後の課題としてとどめておくべきだろう。

結語

 本稿は、『存在と時間』における「世界性B」についての問いをめぐり、第1章ではラカンを介して存在論と言語論を繋げ、世界性Bを否定存在論的孔穴の縁として提示した。続く第二章では、デリダの「隠喩のretreit」を中心として世界性Bが裂線の反復によって「波のように溢れ出る」さまを概観しようと試みた。

 紙幅に反して大きな議論を取り扱ってしまったため、概念の短絡的な連結や説明不足が多々みられるのは残念な点であり、重要な細部の検討しなおしは急務であろう。さしあたっては、(後期)ハイデガーにおける言葉の問題を通して、「言語」、「言葉」、「言」といった諸概念の相違点や共通点を明らかにしたい。

 

[1] もっとも、無のうちで自己自身を限定する西田の「絶対無」の哲学は、後にみるフランス現代思想的な読みにも共鳴する部分が多々あるようにも思う。例えば、永井均は絶対無を「ハイデガーデリダの抹消線を使って『無』と表記してはどうだろう」と提案している。ハイデガー読解を経て出会われるデリダと西田の無の存在論については、今後の課題としたい。

[2] ラカンは〈もの〉をドイツ語由来の「das Ding」とそのまま書き表す場合もあるが、本稿ではハイデガーとの違いを際立たせるためフランス語の「la Chose」を当てた。

[3] のちにみるよう、小笠原晋也は「現実界」を「不可能としての実在性」と「必然としての実在性」に切り分ける。

[4] 辻村訳では「非指示性」

[5] 実在性(Réel)は通常「現実界」と訳される。

[6] 図1をみれば明らかなよう、「必然としての実在性」である「統合エッジ」はクロスキャップのトポロジカルな構造を介して説明されるよう、想像界象徴界(本稿の文脈に則せば否定存在論的孔穴)、そして「不可能としての実在性」の3項を同時に縁取っている。

[7] 以上の議論を踏まえるならば、辻村が「世界の根源X」と名指したものは「不可能としての実在性」である「存在」の場所と言いえるのかもしれないが、それは縁取ることによってその縁取りじしんが「覆い」として機能する一方、縁取ることによってこそその輪郭を措定することができるため、非覆蔵(開示)性と覆蔵(隠蔽)性はいわば互いに貼り付き、「世界の根源X」はまさしく「不可能として」現存在に対して開示されると言えよう。デリダは、『ハイデガー 存在の問いと歴史』において「この根本的な第一の対――隠蔽、開示――から、それらが意味するものとは反対のものを意味するという意味作用が生まれるのを阻むことは、このように不可能なものです」(H 二三三-ニ三四)と述べている。

[8] ここでの「有る」は「ist」

[9] ラカンは「シニフィアンを形成することと、現実界に裂け目、穴を導入することは同じことなのです」(S VII 【下】一八三)と述べている。

[10] 深淵なるものの唯一性に対する議論の補助線として、デリダ否定神学論を引くことができるだろう。デリダは『名を救う』において、プロノティスからハイデガーラカンへと連なる否定神学的な語りの系譜を見出し、ハイデガーの「存在」の抹消線とジャン・リュック・マリオンが「神」に引いた抹消線を重ね合わせる。(Sln 六二)

[11] デリダは『精神について』において、「精神(Geist)」を「他のあらゆる名前を超えたところで、問いの問われていないこの可能性にハイデッガーが与える名前」(Dl 一六)だとしたうえで、「精神は魂を途上に、精神の火によって開かれた道に投げ出し追い立て」(Dl一七〇)ると述べる。そこではハイデガーによるシェリング「雷雨」読解を引きつつ、「苦痛が魂を引きさらい、引き裂き、あるいは引きちぎるのは炎の裂線(トレ)(Riss)の内へなのであ」り、「線(トレ)は、精神の自己への関係の本質の内に苦痛の刻みを入れ、精神はかくして自己を集め分割する」(Dl一七三-一七四)と述べられている。

[12] 「固有言語の固有性は消失することによってしか出来しない以上、自己消失するしかない〔n’arrive qu’ à s’effacer(自己消失においてのみ到来する)〕。しかしたとえそうだとしても、その消失は場をもったことになるだろう――たとえそれが灰の場であったとしても。灰はそこにあるのだ」(PII二四九)

[13] 「灰がこの世に存在するなにものでもないことは分かっている。一つの存在者として残っているなにものでもないと。それはむしろ存在だ。」(flc 七八)